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学園コメディ・制服同人サークル 気まぐれに

第一章 制服の歴史

3.戦後から昭和後期の制服

戦争が終結してもなお、国民の生活は困窮したままでした。学校の制服も復活しますが、中々用意が整わず、不揃いであることも多かったのです。

1947年(昭和22年)、現行の学校制度である学校教育法、教育についての原則を定めた教育基本法、そして日本国憲法が公布されます。これにより、中学校までが義務教育となります。

1960年代に入ると、大学生の間では次第に私服が着用されるようになりました。一方、中学、高校でも服装頭髪の自由化が叫ばれるようになりました。制服は、そのとき批判を受けていた管理教育の一環とされ、 生徒側が制服廃止を訴えたのです。この動きによって制服を廃止する、あるいは服装の自由化が行われた学校が相次ぎました。女学校で初めて制定されたときに人気を博した制服が、時代の流れによって駆逐されていったのです。 現在では、制服を着用することに抵抗感を生む生徒は殆どいなくなりました。管理教育は、制服の着用強制以外にも体罰、丸刈りの強制、スパルタ的教育、さらに生徒の態度や校内外活動への不必要な干渉なども含まれるとされ、 こうしたことは現在では問題であるために殆ど行われなくなったこともあり、管理教育という言葉さえしらない学生も多くいます。制服の着用が管理教育に当たるとは夢にも思っていないことでしょう。

他方では、『制服の改造』が行われる動きも出始めました。学ランやスカートを異様に長くしたり、裏にイカツい刺繍をするなどといったことが、1970~80年代に流行しました。これは、大学の応援団があわせの長い学ラン を着たことに端を発したものです。校内暴力が顕在化したころ、「長ラン」「ボンタン」がツッパリスタイルとして定着しました。こうした学ランを変形させたものは「変形学生服」と呼ばれ、 専門のメーカー・ブランドによって作られていました。一方、女子のスカートもくるぶしにまで及ぶ長さになり、こちらもスケバンのファッションとして定着しました。
いずれも「金八先生」や「スケバン刑事」などのドラマで取り上げられ、ツッパリ、スケバン以外の一般生徒にも改造された制服が蔓延したといいます。
こうした事態を重く見た各制服メーカーは、変形学生服と区別するための「認証マーク制度」を1980年(昭和55年)に制定させましたが、この頃に変形学生服のピークをむかえ、衰退は1990年代まで待たねばなりませんでした。

1980年代に入り、各学校はデザイン性の高い制服の導入に力を入れるようになりました。この頃普及が始まり、今現在最も多く着られている制服がブレザーです。
ブレザーが初めて導入されたのは、遡って1965年、神奈川県にある向上高校でしたが、全国的普及は1980年代後半ごろとなりました。
なお、向上高校がブレザーを導入する前、1930年代には既にセーラー服ではない、スーツ型のような制服を採用しているところもありました。*1
ブレザーのあわせには、ポーランド騎兵隊由来でイギリスの軍艦ブレザーの乗組員が着用していたダブルのものと、同じくイギリスのテムズ川で行われたボートレースで、ケンブリッジ大学ボート部の学生が着ていた燃えるような(Blazer)真紅の ジャケットがもととなったシングルのもののふたつがあり、日本の制服で採用されているブレザーは後者のものが殆どです。
ブレザーが普及していくにつれて、セーラー服、学ランは次第に数が少なくなっていきました。

*1 福島県立白河高等女学校(現:福島県立白河旭高等学校)が昭和9年に採用した制服はネクタイ付のブレザーに似た制服、福島県立白河女子高等学校時代の昭和27年改訂のものもスーツ型制服である。
白河旭高等学校のこれまでの歴史と制服〔http://www.shirakawaasahi-h.fks.ed.jp/?page_id=204〕(2017年3月20日閲覧)より

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