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学園コメディ・制服同人サークル 気まぐれに

第一章 制服の歴史

2.昭和初期から戦時中の制服

昭和初期にかけて、女学生の制服の洋装化がピークを迎えます。紺のセーラー服に帽子というスタイルが多かった模様。

このとき、制服は自分で仕立てたか、上級生が下級生のために製作していたところもありました。

紺色ばかりであったセーラー服に変化がでたのは昭和5年ごろ。白いセーラー服を東京女学館で採用。その後も白い衿のものが採用されるところがでてくるなど、セーラー服もバリエーションが増えてきます。

ところが、この制服事情もあるときを境に一変してしまいます。

1939年に日中戦争が、1941年(昭和16年)12月には太平洋戦争が勃発、各地で激しい戦闘が繰り広げられました。戦争の長期化と物資の不足が懸念され、『ぜいたくは敵だ!』『進め一億火の玉だ』『鉄道は兵器!無駄な旅行は止めませう』 などといった戦意高揚標語が掲げられ、国民は困窮した生活を余儀なくされます。そして、文部省により、男子の制服は国民服、戦闘帽、ゲートル(すねに巻く布や革のこと)を着用して、制服は新しく作らぬように決められました。 女子生徒は、スカートをやめて動きやすいもんぺを着用するように、半ば強制されていきます。ボタンとか制帽などに金属が使われている場合はことごとく供出され、替わりにガラスや陶製のものが用いられました。

最初は有利に戦を進めた日本ですが、ミッドウェー海戦で、主力航空母艦4隻巡洋艦1隻喪失などの損害を出して敗北して以降、戦局は厳しくなり、兵力が不足するようになります。そのため、1943年10月より、20歳以上の文系を中心とした男子学生が戦争に 借り出されるようになります。これが学徒出陣です。1944年10月には、19歳に引き下げられます。一方、中学校以上の生徒・学生は軍需工場、食品工場などで勤労することになりました。戦局がいよいよ苛烈となった1945年4月には、授業を停止する 事態にまでなり、さらに学校の工場化までされるようになり、ついに教育機能が停止してしまいます。

そして8月、日本にとっての終戦を迎え、9月2日、降伏文書調印式をもって第二次世界大戦が終結します。

<1-1:制服の始まり | 1-2:昭和初期から戦時中の制服 | 1-3:戦後から昭和後期の制服>