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学園コメディ・制服同人サークル 気まぐれに

第一章 制服の歴史

1.制服の始まり

飛鳥時代の603年、聖徳太子が定めたといわれている冠位十二階制度。冠や服によって位を区別したこの制度は、日本の制服の始まりと言われています。
その後、7世紀半ばには庠序(しょうじょ)と呼ばれる官営学校が作られます。一方で、有力な氏族は独自に教育施設を作り、そこに通う子弟にはそれと分かる服装をさせていたと言われています

日本の教育は時代とともに変化していきます。江戸時代には、武士の子は幕府や藩の学校へ、庶民の子は寺子屋で、それぞれ学んでいました。
当時、これほど教育熱心な国はあまりなく、日本の識字率は、現代でも極めて高いですが、江戸時代には既に世界でトップだったと言われています。この頃の服装は、身分によってだいぶ差がありました。

明治時代に入り、江戸時代の身分制度は廃止され、1872年(明治5年)には、最初の近代的学校制度である学制が発布され、小学校・中学校・大学校が生まれます。その後、学制は、地方での教育も考慮した教育令に改められますが、 この頃の日本の教育制度は手探りの状態で、不備も多かったことから、幾度と無く改訂されることになります。
1879年(明治12年)、学習院が制服として初めて詰襟を採用。この詰襟はボタン式ではなくてホック式となっており、これは、海軍士官型制服をモデルとしています*1。
陸軍の軍服をモデルとしたボタン式の詰襟は、1886年(明治19年)に帝国大学で最初に導入されました。これが、現代まで男子制服として根強く残ることになります。

一方、明治時代の女学生といったら、未だに和服スタイルで、俗に言う鹿鳴館時代には洋装が推奨されますが、それも一時的なものにとどまります。
そんな中、1905年(明治39年)、和服では動きにくいだろうと、当時女子学生に運動をさせることを推進していた井口阿くり(いのくちあくり)によって、セーラー衿のついた上着とブルマーによる体操服が提案されます。ブルマーといっても、皆さんが想像される生脚むきだしのものではなく、 膝丈まであるものでした。

そして、大正時代に入ると、ついに女子の制服に洋装が取り入れられるようになりました。
1920年(大正9年)、京都の平安女学院に日本で最初に女学生の制服を洋装化。こちらは、セーラー衿のついたワンピースタイプとなっています。

その1年後の1921(大正10年)には、現在も知られるセパレート型セーラー服が誕生することになりますが、それを最初に採用した学校については諸説あります。

これまでの通説では、福岡女学校が1921年(大正10年)12月に採用されたのが始まりとされてきましたが、2018年になって、愛知の金城女学校が同年9月にセパレート型セーラー服着用を義務付けたとする説が浮上。 また、神奈川のフェリス英和女学校も同年11月に採用していたとし、これまでの福岡女学校とする通説が崩れているのです。(刑部 2018)*2

これらの制服は人気を呼び、この後、日本各地の女学校で制服が洋装化されていきます。しかし中には、制服が高くて買えないので退学したという話も…

*1 宮内高等官型をモデルとしているというサイト(トンボ:学ぶスタイルの変遷|封建教育から近代的教育へ〔http://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/style/change04.html〕2017年3月20日閲覧)もある。
「海軍士官型」とは学習院のWebページ〔http://www.gakushuin.ac.jp/ad/kikaku/jiten/〕(2017年3月20日閲覧)に記述があったものである。

*2 参考文献参照

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